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「喜多方・ラーメンの香り漂う蔵の町」
(福島県喜多方市) 
【概要】

 喜多方は会津の北部に位置していたことから江戸時代には北方(きたかた)と呼ばれ、会津藩の物流拠点として強い結びつきを持っていた。米沢-会津を結んでいた米沢街道沿いには、かつて多くの蔵が存在していたとみられ、現在でも杉山集落の農村蔵、三ツ谷の煉瓦蔵、中央通りの店蔵や座敷蔵など、当時を偲ばせる風景が残っている。

 明治八年の「喜多方の大火」によって市街地が大火事にみまわれるが、蔵はびくともせずに焼け残ったことから、皆が蔵を建てるようになったという。この土地では「男40にして蔵の一つも持たねば男でない」とか、「蔵は男の浪漫」などと言われるほど蔵を所有することが人生における成功の証として考えられていたようである。

 昭和29年3月には、喜多方町、松山、上三宮、岩月、関柴、熊倉、慶徳、豊川村が合併し喜多方市が発足し、現在では会津地方の中核都市に発展している。

喜多方市中心部地図
喜多方市ホームページより
杉山集落
三ツ谷の煉瓦蔵

【都市の規模】
 喜多方市は人口約3万7千人、面積150.40キロ平米で1万1千世帯が暮らす会津地方の中核都市である。
 福島県西北部に位置し、南に遠く那須連山、東に磐梯山、西に飯豊山と会津盆地にたたずむ自然豊かなまちであり、気候は、裏日本型気候で平均気温11℃、降水量年間1,200mmの積雪地帯である。
産業としては、非鉄金属、繊維、弱電、また良質な水、米をもとにした酒造業や桐材加工、漆器など伝統的な産業が残っていおり、会津地方では会津若松市に次ぐ第二の商圏を形成している。
 また、酒造、ラーメンの他、全国屈指のヘラブナの生息地でもあり、川前釣り場、湿原植物の群生地雄国沼が有名である。
 主なイベントとしては、夏祭り、冬祭り、さつき祭りなどがある。
あべ食堂のラーメン
冬の喜多方市内
大和川酒造北方資料館
蔵の町喜多方 夏祭り
蔵座敷美術館
若喜商店
喜多方市美術館

【蔵とラーメンの街として〜まちづくりの立役者達〜】
 喜多方にはとにかく蔵が多い。農家蔵から、店蔵、座敷蔵や酒蔵、道具蔵などなど、そのタイプもいろいろである。世帯数1万1千世帯に対して2600棟の蔵があると言われており、4〜5世帯に一棟の割合で蔵を所有していることになる。これは全国でも屈指の所有率であり、中でも西洋風に造られた煉瓦蔵や蔵に施されたこて絵などは見ごたえがある。さて、なぜ喜多方にはこのように珍しい蔵がたくさん残っているいるのかと言うと、そこにはいろいろな人の努力のあとがある。
「蔵の町の基礎を築いた煉瓦師」
喜多方には珍しい西洋風の煉瓦蔵が点在するが、そのほとんどを手がけたのが煉瓦師の田中又一氏であるという。一説によると、明治39年頃、鉄道工事用の煉瓦工場が三ツ谷にでき、その製品を利用して喜多方の煉瓦蔵は建てられたという。現在でも三ツ谷の煉瓦工場周辺には見事な煉瓦蔵が残されている。
「蔵を撮り続けた写真家」
 明治の「喜多方の大火」以後、蔵への信頼度が上がり、立派な蔵を所有することが男のステータスシンボルになったことは先述したが、そんな喜多方でも時代の変化とともに蔵がどんどん取り壊されてた時期があった。そのような中、写真をとおして喜多方の文化遺産を後世に残そうと、蔵を撮り続けていたのが地元写真家の金田実氏である。金田氏の蔵の写真展は回を重ねる毎に有名になり、昭和49年には、東京の三菱オートガーデンで写真展を開催することとなる。
「中国から味の伝道師」
 今や喜多方=ラーメンといえるほど、全国的に知名度を上げた喜多方ラーメンであるが、そこにも由来はある。喜多方ラーメンのルーツは当時中国から渡って来た人々が屋台でラーメンを売り歩いていたことが始まりとされる。現在、喜多方ラーメンの老舗として知られる「源来軒」の初代店主、潘欽星氏もそんな人々の一人だったという。潘氏は長崎の叔父を頼って来日するが、会うことが出来ず、探し歩いた末にやっとのことで、喜多方で再会し、生計をたてるために始めたのがラーメン屋台だったと伝えられている。その後、その技術や味が広く市民に伝わり、ラーメン屋の数が増えることとなる。喜多方ラーメンにスポットライトがあたるのは、先述の金田氏の東京展以降、蔵を取りに訪れた人々が昼食としてラーメンを食べ、それが口コミで伝わったのが始まりとされている。

 田中氏の造り上げた煉瓦蔵を金田氏の写真展が世に紹介し、それがきっかけで訪れた人々が潘氏が築きあげた喜多方ラーメンを食べる...。といったように、喜多方の場合、それらがうまく連鎖して現在の街と文化が創り上げられたと言える。

市内に点在する蔵
三ツ谷の煉瓦蔵
三ツ谷の煉瓦蔵
街なかにもラーメン屋が多い
源来軒

【まちづくりの取り組みと課題】
 喜多方市の中心部は2km四方でおさまる程度であるため、歩いて観光するのに適した規模である。また、レンタサイクルや観光馬車などもあるため、一日いれば市の観光メニューを満喫できるであろう。(ラーメンは食べきれないが...)観光メニューの主なものには、ラーメンの他、酒蔵見学や利き酒体験、社寺仏閣巡り、まつりなどがある。

 現在、喜多方におけるまちづくりの取り組みとしては、市が歴史的環境保存地区・町並み保存地区を設けて、歩道、自転車道を設置し、中央通り西に「歴史の道すじ」を整備する他、第三セクター「喜多方ふるさと振興株式会社」による「喜多方蔵の里」の運営、また、各酒造メーカーによる酒蔵見学用の解放や修景活動、喜多方老麺会によるネットワーク形成などがあげられる。全国レベルの観光地になってから十数年が経つが、地域住民レベルにおいても、観光客にやさしい気風が定着しつつあるように思う。

 問題点としては、他の全国的な観光地に比べて観光マップや案内パンフレットなど、情報発信が不足していることがあげられる。また、観光案内所が15時で閉まってしまうため、それ以降に訪れた客に対してのフォローが問題である。以前は駐車場の欠如が問題視されていたと聞くが、その後の整備で、現在は無料開放の駐車場なども多くある。

 次の大きな課題としては、中央通りアーケードの問題がある。蔵が密集しているのはなんと言っても中央通りである。現在はアーケードのかげに隠れてしまい、折角の外観が台無しになっているものが多い。しかし、喜多方を含む会津地方は県内では豪雪地帯であり、雪の日には、このアーケードが住民の通行に一役買っていることは間違いない。アーケードを取り払えば美しい外観を表す蔵は多いことと思うが、観光を取るか、生活を取るか、難しいところである。どちらにしても、現在アーケードは少々老朽化している部分も多く、やり方によっては蔵のファサードを壊さないような方法もあると思うので、工夫していただきたいところである。

最後に、著者が感じた喜多方の印象をキーワードにまとめる。

・ラーメン・蔵・れんが・集落・自然・酒・馬・散歩

といったところか。

観光馬車
利き酒体験
大和川酒造北方風土館
喜多方老麺会
の暖簾
歴史的道すじ
見学体験型の施設一覧
一般道の歩道にも力が入っている
アーケードに隠れた蔵の外観

【喜多方関連情報/参考資料】

・喜多方市役所ホームページ
http://www.city.kitakata.fukushima.jp/index_j.html

・喜多方観光協会
http://www.kitakata-kanko.jp/

・財団法人日本ナショナルトラスト〜喜多方のページ〜
http://www.mt-fuji.co.jp/JNT/trust_j.html

・平成の名水ものがたり きたかた
http://www.akina.ne.jp/~arata/kannkou/kura/kura.htm

・名城大学都市整備論研究室 街を歩く「喜多方」
http://www.urban.meijo-u.ac.jp/zkaidou/200008喜多方B.htm

・Yomiuri ON-LINE □■ 旅ゅーん!■□
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/virtual/200202/vi0302.htm

・きいろい★ながれぼしの旅-銀河浪漫-「喜多方の近代建築」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ynisihir/html/Y_FUKUSHIMA.htm

【アクセス】

車:東北自動車道経由(郡山JCT)磐越自動車道−会津若松IC−国道121号
喜多方市街地の手前でバイパス道と分岐。市内へは会津若松方面から分岐を左折
JR:磐越西線−会津若松経由−喜多方駅


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